暖かいGWのスタート
昨日、今日と東京は暖かいです。
昼間は夏さながらで長袖を着ていると汗ばむ感じです。
日本橋上の彫像も火を吹いてもおかしくない感じがします。
今年の夏が猛暑になると電力不足で計画停電になると新聞やテレビで報道されています。
2011年の報道の様子からすると、どこまでがキチンと報道機関が調査して数字を確認した報道なのか疑問が残ります。
単に政府や電力会社の発表を伝えているだけに過ぎないのであれば、特に若い世代にとっては付加価値は無いと言っても良いでしょう。
これまではそういう報道でも満足していた視聴者や読者もそういう訳にはいかないと思います。
報道機関はある程度の混乱が収まり、これから本格的に将来のことを考える時期です。
恐らく、発電方法についても電力消費にしても、今までの常識が常識では無くなっていく事 になるのではないかと思っています。
脱原発派の方も具体的にどのようにして産業の競争力を落とさず、国民の負担がいかに少なくなるかアイデアを出していただく方が良いようです。
単に反対、対応は政府が…というのは負担は結局国民が負うことになるということで、多くの賛同を得ることは難しいように思います。
国民の負担がどの程度で、今後はどのように電力供給を行うか…ということが問題です。
この部分を政府と電力会社任せにしてきたのが今までの状況でした。
今までと異なることを目指すのであれば、この部分を政府と電力会社任せにしない…ということが重要です。
特に電力料金の決め方が大きな鍵を握っていると思います。
電力会社が各地方自治体に対して大きな発言力を持っていたのは、必要以上の電力料金を徴収することが大きいです。
大きな資金力で雇用と福祉(寄付)という好意で思うように事を進めてきたことが明らかになっています。
この部分で今後のことを国民が考えるにあたり、マスコミは今までのような政府、企業の発表だけを報道するのではなく独自の調査能力、つまり報道機関としての調査能力が求められています。
もちろん、それぞれの報道機関での報道内容が異なるということも出てくるでしょう。
それが健全な報道のあり方であるように思います。
全部のチャンネルで同じ意見を流しているということの方が独裁政権下での報道のようで、私にとっては不気味な感じがします。
この夏の報道でそれぞれの報道機関、特にテレビと新聞では各社がどの程度真剣に報道機関として自分達を考えているかが見えてくるように思います。
悲惨な状況をヘリコプターを飛ばして映し、被災地に日帰りでレポーターを送るだけが報道ではないです。
各報道機関の切磋琢磨に期待してます。
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正しいマスコミの行動…ただ方向が…
この数日…読売新聞と朝日新聞で巨人軍のことについてバトルが繰り広げられています。
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/
ある事象に関して疑いを持ち…記事を書いていく…というのは良いことだと思います。
そして他紙の論調で間違ったところには記事で反論する…というのも良いことだと思います。
まさしくマスコミとしての正しいの動だと思います。
でも…スポーツ分野で競合他紙に対する…というのは方向性として…どうかな…と思います。
野球が好きな人、野球に関心がある人は確かに多いです。
が…多くは選手の活躍に興味があるのではないでしょうか…。
というよりも…そもそも…こういう能力や労力を使う方向性が間違ってないでしょうか。
政治、行政、経済の分野の記事を書くのに生かして欲しいです。
国の方向性を左右する大きな事件がある時にこそ、この能力を生かして欲しい。
各紙でそれぞれの意見をぶつけて国民にいろいろな考え方を披露して欲しい。
複数の考え方をぶつけ合い、それぞれの良し悪しを論じて欲しい。
ところが、大きな事件の時にはどの新聞やテレビを見ても同じ内容ばかり…。
報道の自由…を声を大きくして叫んでいる割にはなんだかなぁ…という感じです。
スポーツや社会面でのしかも局所的な事項でだけ、報道の自由を本当に発揮している感じです。
でも…そんなの国民生活、つまり読者の生活にどれ程の影響を与えるのでしょうか。
大きな事件の時には一斉に同じ内容の報道。
何故か各紙・各局の報道に大差がないのです。
実際には若干の差はありますが、大差はありません。
これが何をもたらすか…。
長期的にはマスコミ離れに繋がっていくように思います。
特に知識階層のマスコミ離れが進むのではないでしょうか。
何故そう思うかというと…悪例を知っているからです。
中東の独裁政権国家だけでなく、第2次大戦時の日本、北朝鮮といくらでも例があります。
中央機関が発表したことだけをマスコミが報道しているとどうなるのでしょう。
第二次世界大戦の当時の日本でもマスコミは民営でした。
しかし大本営発表を書くだけ…。
そういった国の行く末…いや、国民生活がどのようになるか想像できる人もいます。
本を読んだり、歴史を学んでいたりすればある程度の推察が出来ます。
でも…多くのそういった勉強的な要素があることを嫌う人達はどう行動するでしょう。
第二次世界大戦当時のドイツや日本のマスコミの間違った短期的な行動様式に似ているように思うのは私だけなのかな…。
庶民的な卑近な話題にフォーカスし注意を引いておいて、大局的なことは中央機関の発表通り…。
このような状況に陥ると…知識階層はマスコミの報道を信用しません。
大多数の卑近な話題に興味がある人には面白い事件が報道されます。
大局的なことは…どうなっていくのでしょう…。
テクノロジーの発達でネットがありますが…なかなか影響力を発揮できていません。
日本の経済情勢、近隣諸国の状況を考えると…今のマスコミ…大丈夫なのかな…。
思い過ごしであることを願っています。
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やっぱり…マスコミは…終わってた…
テレビドラマやバラエティで人気のタレントが免許停止処分になっていたことが報道されていました。
記者・報道機関の見識はどこにあるのかを疑いました。
この行為は…、つまり今回の報道は恐ろしい。
この報道を恐ろしいと思うのは、ちょっとしたミスを見つけて他人を陥れる行為を行うこと…が正しいことだ…と公然と行われていることだからです。
こんな例はどう思うでしょう。
遊んでいて学校の廊下で走ってしまった生徒がいたとします。
学校の規則では廊下を走ることが禁止されています。
その様子をみつかり、生徒会や生活指導担当教師ががこぞって非難します。
校内放送で個人名を流して非難されます。
先生も校内放送をした放送委員も生徒会に出席せいている生徒も、廊下を走ることがあるのが実態だとしたらどうでしょう…。
もしこの例のような状況だったとしたら…それは正しい行為なのでしょうか?
私は必ずしもそうとは思いません。
こういう状況…同じ報道機関が報じる場合にはイジメ…と呼ぶのではないかな…。
マスコミ全体でこんなことをしていたら、多くの子供たちは他人を陥れたり、いじめたりすることをやめることはないですね。
だって、子供は大人が堂々とやっていることを真似てるだけですから…。
ところで…このニュースを流した報道機関の車は制限速度で走っているのでしょうか?
ちゃんと守っているなら良いのですが…私の個人的な印象ではそんなことはないです。
朝早く新聞を印刷所から新聞配達所に届けるトラック…かなりのスピードで走っています。
報道機関の黒塗りセダン…高速で遭遇すると…かなりのスピードで走っています。
自分の会社で免停になっているドライバーが何人いるのか…ということを併せて報道しているのであれば救われます。
私の見た感じでは、そういう報道はありませんでした。
なんだか…自分のことは棚に上げて他人を…という感じです。
こんな態度じゃ、まともな感覚を持っている人は大手マスコミから距離を置こう…と思っても仕方ないですね。
同じ内容をレーシングドライバーであり、自動車ジャーナリストの国沢氏が自身のブログでも書いています。
タレントが速度違反 by 国沢光宏
http://kunisawa.txt-nifty.com/kuni/2012/03/post-da03.html
いやはや…こんな報道機関の様子…反面教師として真似をしないでもらいたい。
有名なタレントだけに…特に小中学生への影響が心配だな…。
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