正しいマスコミの行動…ただ方向が…
この数日…読売新聞と朝日新聞で巨人軍のことについてバトルが繰り広げられています。
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/
ある事象に関して疑いを持ち…記事を書いていく…というのは良いことだと思います。
そして他紙の論調で間違ったところには記事で反論する…というのも良いことだと思います。
まさしくマスコミとしての正しいの動だと思います。
でも…スポーツ分野で競合他紙に対する…というのは方向性として…どうかな…と思います。
野球が好きな人、野球に関心がある人は確かに多いです。
が…多くは選手の活躍に興味があるのではないでしょうか…。
というよりも…そもそも…こういう能力や労力を使う方向性が間違ってないでしょうか。
政治、行政、経済の分野の記事を書くのに生かして欲しいです。
国の方向性を左右する大きな事件がある時にこそ、この能力を生かして欲しい。
各紙でそれぞれの意見をぶつけて国民にいろいろな考え方を披露して欲しい。
複数の考え方をぶつけ合い、それぞれの良し悪しを論じて欲しい。
ところが、大きな事件の時にはどの新聞やテレビを見ても同じ内容ばかり…。
報道の自由…を声を大きくして叫んでいる割にはなんだかなぁ…という感じです。
スポーツや社会面でのしかも局所的な事項でだけ、報道の自由を本当に発揮している感じです。
でも…そんなの国民生活、つまり読者の生活にどれ程の影響を与えるのでしょうか。
大きな事件の時には一斉に同じ内容の報道。
何故か各紙・各局の報道に大差がないのです。
実際には若干の差はありますが、大差はありません。
これが何をもたらすか…。
長期的にはマスコミ離れに繋がっていくように思います。
特に知識階層のマスコミ離れが進むのではないでしょうか。
何故そう思うかというと…悪例を知っているからです。
中東の独裁政権国家だけでなく、第2次大戦時の日本、北朝鮮といくらでも例があります。
中央機関が発表したことだけをマスコミが報道しているとどうなるのでしょう。
第二次世界大戦の当時の日本でもマスコミは民営でした。
しかし大本営発表を書くだけ…。
そういった国の行く末…いや、国民生活がどのようになるか想像できる人もいます。
本を読んだり、歴史を学んでいたりすればある程度の推察が出来ます。
でも…多くのそういった勉強的な要素があることを嫌う人達はどう行動するでしょう。
第二次世界大戦当時のドイツや日本のマスコミの間違った短期的な行動様式に似ているように思うのは私だけなのかな…。
庶民的な卑近な話題にフォーカスし注意を引いておいて、大局的なことは中央機関の発表通り…。
このような状況に陥ると…知識階層はマスコミの報道を信用しません。
大多数の卑近な話題に興味がある人には面白い事件が報道されます。
大局的なことは…どうなっていくのでしょう…。
テクノロジーの発達でネットがありますが…なかなか影響力を発揮できていません。
日本の経済情勢、近隣諸国の状況を考えると…今のマスコミ…大丈夫なのかな…。
思い過ごしであることを願っています。
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やっぱり…マスコミは…終わってた…
テレビドラマやバラエティで人気のタレントが免許停止処分になっていたことが報道されていました。
記者・報道機関の見識はどこにあるのかを疑いました。
この行為は…、つまり今回の報道は恐ろしい。
この報道を恐ろしいと思うのは、ちょっとしたミスを見つけて他人を陥れる行為を行うこと…が正しいことだ…と公然と行われていることだからです。
こんな例はどう思うでしょう。
遊んでいて学校の廊下で走ってしまった生徒がいたとします。
学校の規則では廊下を走ることが禁止されています。
その様子をみつかり、生徒会や生活指導担当教師ががこぞって非難します。
校内放送で個人名を流して非難されます。
先生も校内放送をした放送委員も生徒会に出席せいている生徒も、廊下を走ることがあるのが実態だとしたらどうでしょう…。
もしこの例のような状況だったとしたら…それは正しい行為なのでしょうか?
私は必ずしもそうとは思いません。
こういう状況…同じ報道機関が報じる場合にはイジメ…と呼ぶのではないかな…。
マスコミ全体でこんなことをしていたら、多くの子供たちは他人を陥れたり、いじめたりすることをやめることはないですね。
だって、子供は大人が堂々とやっていることを真似てるだけですから…。
ところで…このニュースを流した報道機関の車は制限速度で走っているのでしょうか?
ちゃんと守っているなら良いのですが…私の個人的な印象ではそんなことはないです。
朝早く新聞を印刷所から新聞配達所に届けるトラック…かなりのスピードで走っています。
報道機関の黒塗りセダン…高速で遭遇すると…かなりのスピードで走っています。
自分の会社で免停になっているドライバーが何人いるのか…ということを併せて報道しているのであれば救われます。
私の見た感じでは、そういう報道はありませんでした。
なんだか…自分のことは棚に上げて他人を…という感じです。
こんな態度じゃ、まともな感覚を持っている人は大手マスコミから距離を置こう…と思っても仕方ないですね。
同じ内容をレーシングドライバーであり、自動車ジャーナリストの国沢氏が自身のブログでも書いています。
タレントが速度違反 by 国沢光宏
http://kunisawa.txt-nifty.com/kuni/2012/03/post-da03.html
いやはや…こんな報道機関の様子…反面教師として真似をしないでもらいたい。
有名なタレントだけに…特に小中学生への影響が心配だな…。
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前例…ってあるのが普通なのかな…
マスコミが好きな言葉に「前例がない」というのがあります。
文学系の誰かが研究したことをなぞらえる勉強だけをしてきた方々にとっては前例があるのが普通なのでしょう。しかし、理系や経済系の学部では前例があることをやっていても価値はあまりないのです。
企業経営に於いては前例があることをやっていると儲かりません。労務管理やルーチンワークは前例に従って黙々とこなす部分が多いのも確かですが、経営者は作業者ではありません。
政治も世界情勢が今と全く同じ、国内情勢が現在と同じ…なんて時期今までにありませんし、これからも常に今までとは異なる状況の中での国家運営が必要です。だとしたら、前例がない…というのは当たり前のことで別に特殊な状態ではないということは簡単に分かることです。
ということで、経営も政治も前例がないところを進んでいくのが経営者であり政治家だと思ってます。
だから、前例がない…なんてことを言っている人は政治家向きじゃないのでさっさと辞めてください。政治の世界で前例がある事象なんてそう多くはないです。もっと現実的な思考を持っていないとダメですよね。
同様に「前例がない」ということがいかにも特殊なことのように書いたり話したりしているマスコミの方々も、報道関係に携わっている責務をちゃんと理解しているのでしょうか。「前例がない」というのは異常なことではなくて正常なことだ…ということを理解して、読者や視聴者に伝えようとしているのでしょうか。
なにやら…政治家に良いように扱われていて、政治家同様に国民の信頼を失っているのが今のテレビ局や新聞社のように感じられてなりません。
「前例がない…」という言葉を使った時には…なにか特別なことを成し遂げたような気分になるのかもしれません。